人間、生涯最後の到達点、目的、それは安らかな往生である。 又、それを望まない人はいないはずである。 では、そういう状態になるには、どうすればよいか? 何も不思議なことではない。 生き様、所業が肝心なのである。
この世の最期の時、安らかな往生をされた方々は、
決まった生き方、生き様を送られた方ばかりである。 それは方程式と言ってもよい。 しかしいろいろ様々な死に方の中で、安らかな往生は余りにも少ないのが現状である。 では、どう生きるべきか?
生き様、所業が肝心なのであるが、その肝心な方程式、
生き様を考える人が少ないのは驚きである。 歳をとり、身体の健全が全く立ち行かなくなった時、 慌てふためき悩むのであるが、しかしそれではいささか遅いのではないか。 我が身が健全な状態の時に、思い悩み、確かな生き方の方向付けをし、 生きねばならないのではないか。 人間最期の目的(往生)が、しかと決まっていれば、日々ぶれることも、 そう悩むこともなく、生涯堂々人生を送れるはずである。 だのに日々の生活(暮らし)雑踏に流されて、欲にかられたり、 自分の都合にウエイトを置き、自分の大事な終着点を どうあるべきかを考えることなく、生きながらえている人が余りにも多い。
そこで上の言葉を8月の言葉とする。 生き様、所業が大切なのである。
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