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■南部通信 「元気の灯が消えている被災地へ行く」 |
東日本大震災 あれから六年が過ぎた現在(いま)
岩手県山田町 風光明媚な船越湾が最悪の状態である。
「魚が獲れない アワビ、ホタテも全滅状態。漁業組合も
成り立たない」と嘆いている。私も六年前からこの湾の
漁師さんと縁ができ、その都度状況を聞きながら現在に
至っている。震災直後、漁師さんは国からの援助で新しい
船になるも 「俺たちこの先十年で漁師は出来なくなる。皆
八十を超えた年寄りばかり。若い者で六十。それに嫁がいない。
そして津波で追い打ちを掛けられた。どうせ漁業は終わりが
来るんだよ」と肩を落とし話していた。私が時折、湾に行くと
皆寄って来てその時は笑顔で話す。船にのせてくれ、ホタテの
養殖場やら、タコ獲りの場に連れていってくれたり、時に
獲れた魚を送ってくれたりとか。その時に湾の様子を聞く。
「やはり、漁業は成り立たない---」と。何かいい手立ては
ないかと考えるも何も役立てない。そんな最中、また船越湾
に十月三日に行くことにした。漁師さん達と飲み食いしよう
する事となった。快く待っていてくれる。一日でも、半日でも
いい笑顔に。声を出して笑える一時(ひととき)になって
くれたらと。 そして、海神様に「この船越湾をお護り下さい
護って下さい。繁盛させて下さい」と祈願、お願いをする。
※大船渡、泥津波岩泉町、他都合四か所に行く
五泊六日の旅
「無情なり 地震津波が 来なかれも
今に困らす 誰が救わん」
平成二十九年九月二十八日
「選挙に 掛かる数百億 被災地に
考え使う 国が治まる」
平成二十九年九月二十八日
「一時の 笑顔でよかれ 声を出し
笑ってほしい 番屋の宴で」
平成二十九年九月二十八日
「潮流れ 海が変わりし 荒れ狂う
網まで流され 魚が獲れぬ」
平成二十九年九月二十八日
「叶わぬも この船越湾 手を合わせ
栄えるように 伏して念じる」
平成二十九年九月二十八日
「農漁業 年寄りばかり 若者は
皆、都会出る 空き家が増える」
平成二十九年九月二十八日
「いまに来る 魚・米・肉 国産が
食えぬ買えない その時が来る」
平成二十九年九月二十八日
「何もかも 便利が過ぎて 仇となり
事件災難 我が儘不幸」
平成二十九年九月二十八日
「考えよ 得の先取り 我が儘は
運が付かない 黄昏日来る」
平成二十九年九月二十八日
「毎日に 我さえ良かれ 生き方が
年取る共に 貧しとき来る」
平成二十九年九月二十八日
「奉仕する 少し事でも 喜んで
周り気にせず これ常とする」
平成二十九年九月二十八日
「雨・洪水 止まることなく 降り荒らす
心洗えよ 正せとしてか」
平成二十九年九月二十八日
国会シリーズ
「解散だ 六百億が 掛かるだと
血・肉の金を 平気な顔で」
平成二十九年九月二十八日
国会シリーズ
「安倍首相 解散誤り 自滅する
損得生きる これぞ浅まし」
平成二十九年九月二十八日
相撲シリーズ
「横綱が 秋の実りに 寂しかれ
ハングリー精神 日本に居ない」
平成二十九年九月二十八日
酒・タバコシリーズ
「辛苦時 酒もタバコも 毒となる
時には考え 飲む吸うのとき」
平成二十九年九月二十八日
子供シリーズ
「我が子には 辛い苦労は させたくない
それは違うぞ 苦労を仕向け」
平成二十九年九月二十八日
「雨だれを 我が呼吸に 合せ見る
雨好きになる 心豊かに」
平成二十九年九月二十八日
平成二十九年十月
南 部 塾
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2006 NANBUJYUKU |
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